地下足袋山中考 NO15

<赤水渓谷の今昔@ 渓谷との出会い>

亡き父(H21.83歳で永眠)にせがんで、赤水渓谷に足を踏み入れたのは、昭和50年のお盆頃であったと記憶している。父が1516歳の頃(昭和1516)に玉川温泉に湯治に通った沢筋ルートであったこと。カンテラをかざし岩魚の夜突きに一喜一憂した話に促されての念願の渓谷遊びである▲小1時間かけて現在のノロ川園地に車を置く。ここは、馬の林間放牧が行われていた戦前までは、監視小屋が置かれていた場所だという。ノロ川ブナ林を抜け、約2キロ先の桃洞・赤水分岐から赤水渓谷に入る。渓谷の入口にさしかかるとエゾウグイの群れが倒木の下にうごめいている。ヤスを手に潜む大物を物色。出会いのおう穴に糸を投げ込むと一瞬に尺岩魚が食らいついた。浅瀬を走る魚影をおう穴の隙間に追込みヤスを突き刺すと一度に数匹の岩魚を仕留めることができた。(遊漁禁止区域指定前の古き良き頃の話である)▲一枚岩盤のU字渓谷は150200mの深さに浸食され、岩盤はいたる所に直線状の節理が走る。岩肌をモザイク状に飾る灌木林と水際までせり出したブナやミズナラの森が交互に待ち受け、岩峰はネズコやキタゴヨウの共生林が群立する。水深510センチメートルの緩やかな流れに点在する小滝とおう穴群を跨ぐたびに変化する渓相に興奮は休まることを知らない。これほど幽玄孤谷の造形美に私は出会ったことがなかった▲2時間ほど歩いた支流の分岐は、玉川温泉に向かう左沢と本流の右沢の合流点だ。向かう本流は樹林帯が水際まで迫り、階段状の小滝がおう穴を従え蛇行を繰り返す流れは、カエデが短冊する箱庭の連続である。随所に湧き出る岩清水で喉を潤し、辿り着いた先がウサギ滝だった。落差は20メートル余り、上奥2段は数メートルの階段状に落ち込み、下段は十数メートルの滑滝だ。右岸にはゼンマイ取り専用のスッテプが刻んである。怪しく輝く頭部とは対照的に、天高く突き開いた滝壺周辺は天然のスタジアムのように思えた。おう穴には、やはり尺岩魚が背を並べていた。▲滝名の由来は、ウサギが前足を立ち上げた姿に似ているとのことだが、父の説明は少し説得力に欠けていた(今でもウサギ滝の名称には説明に苦慮している)。深山幽谷の只中に身を投じ、早咲きのリンドウを愛でながら、渓谷美を親子で独占し優越感に浸った爽やかな立秋の日和だった。脳裏はすでに錦秋の季節を廻っていた。

<小又峡〜ノロ川〜赤水渓谷の特徴>

渓谷は標高620800メートルの山域で全長約5キロ。ウサギ滝までの約4キロ区間は高低差が僅か30メートルの緩やかな流れが続く。一帯はおよそ200万年前に噴出した石英安山岩質の大火砕流の台地が浸食されて形成された。その規模は厚さが300500mで約20キロ四方(奥森吉は太平湖・小又峡・桃洞渓谷・赤水渓谷・六郎沢・粒様・様ノ沢。奥阿仁は中ノ又渓谷・立又渓谷。鹿角市は夜明島渓谷。仙北市は玉川ダム一帯)に及ぶ。ノロ川周辺は森吉山の噴出物で覆われたため平坦な上谷地、中谷地、下谷地となったが、火砕流大地の縁にあった小又峡は、激しい浸食を受けて断崖の続く深い渓谷となった。森吉山本体は、この火砕流台地を基盤とする西端に位置するが、数十万年前の旧火山といえども渓谷の形成史から見れば新参者にすぎない。

2010.9.1)<次号につづく>